2009年
12月
12月27日
今日は年内最後のロケでした。
無事撮影も終わり
今日は16回目の16歳の誕生日と言うことで
貴族のたしなみ 吉牛へ。
勿論 貴族ですから
並
つゆだく
そして ギョク(生卵)もつけるんだろうと
店員が構えているところに
あえてフェイントをかけて おしんこと味噌汁の
スーパーコンボ。
贅沢は敵です。
鬼畜米英。
贅沢しません 勝つまでは。
我が家の鍋も戦艦大和の甲板に使って下さい。
むしろ 周富徳の中華鍋も戦艦大和の便器に使って下さい。
そんなノリで
バースデーケーキの替わりに
牛丼 並 つゆだくを頼んだのです。
牛丼にキャンドルが16本刺さっていないので
ちょっと 不機嫌になりながら
紅ショウガで色を添えて食したのです。
むしろ これでもかってくらい
参ったか!!俺!!ってくらい
一味をぶっかけたのです。
俺 おめでとう!!
16回目の16歳 本当におめでとう!!
『カハッ・・・。』
赤い彗星丼は失敗だべ。
いくらジークジオンっつっても
一味かけすぎたべ これ。
俺 殺す。まじでぶっ殺す。
次会ったら殺す。
『坊やだからさ♪(はぁと』
というわけで 無事に帰宅して
背広も着てないけど 背広を脱ぎ捨て
冷蔵庫に冷やしてなかったけど コンビニで買ったビールをプシュッと開け
ダンディでもないけど ダンディ坂野
っぽく Get's(ゲッツ)を連呼しながら
何となく ぼんやりと マメに日記を書いてる訳でして。
PC前で 16回目を迎えた16歳の誕生日を1人淋しく送っている
16歳らしからぬ好少年を想像してみて下さい 皆さん。
思わず抱き締めたくなるでしょ?
どうですか 奥さん 今夜あたり?
まだ オイラの如意棒も 『伸びろ』と48時間くらい
唱えて貰えれば 伸びるのではないかと思われます。
2〜3mmくらいなら。
あれ?ダンディ坂野は もう流行りじゃないの?
まぁ いいべ こまけーことは気にすんな。
誕生日ネタとしては
電撃入籍でも書こうかと思いましたが
そんなネタを それらしく書くと虚しくなり
Weifファンの 全国60億の女性 が悲しむので 辞めておきました。(照
まぁ この歳になると思うのは
誕生日ってのは 祝ってもらうもんっつうより
産んでくれた母に感謝する日なんかなぁーと。
母さんありがとう・・・。
16回目の16回目の生まれてきちゃって ごめんなさい!!
そして そんな母を産んでくれた ばーさんに感謝する日なのかなぁーと。
んでもって そんな祖母を産んでくれた 曾ばーさんに感謝する日なのかなぁーと。
んでんでもって そんな曾ばーさんを産んでくれた 曾曾ばーさんに感謝する日なのかなぁーと。
(以下略
あら?女性にばっか感謝じゃダメ?
父ちゃんにも感謝しろと?
ですよねー 俺の尊敬する父性像には
敬愛する 黒板五郎博士がいますからね。
『ほ、ほほ、ほ、ほたりゅぅうぅうぅぅ〜♪』
息子は立派に借金まみれ。
娘は立派に不倫まみれ。
という立派家族を作った黒板五郎さんを
敬愛して 止みません。
僕もそんなお父さんになりたいです。
ということで いつ製造されて
どういう風に勢い余って放出された精子なのか知りませんが
父さんも爺さんもそのまた・・・精・・・玉・・・袋・・・感謝・・・(以下略
というわけで 16回目の16歳の誕生日っつうか
精子も卵子も ばっちこいや感謝デー終了。
※) そろそろお金持ちの本当のお母さんとお父さんが
120mくれーあるリムジンで迎えに来るはず。
もしくは 白い三角木馬に乗った
女王様が そろそろ迎えに来るはず。
あと なんでか知らないけど
俺の誕生日を知っていて
おめでとうメールくれた皆さん
本当にありがとうございます。
俺はそんな皆さんのことを愛しているし
愛しているんだけど メール下さった方々の
誕生日を全く俺が覚えていないというね・・・。
アレだよ 愛ゆえに人は苦しみ 愛ゆえに人は悲しむ
ならば 愛など要らぬ
引かぬ媚びぬ省みぬ By サウザー様 
あー また 南斗鳳凰拳しに
スノーボードに行きたいです。

このあと背骨がバキバキになったのは言うまでもない。
12月25日
メリークリスマス。
思い思いのクリスマスを皆さんお過ごしかと思います。
長かったようで短い1年がようやく終わる。
去年の暮れは自殺未遂をやらかして
最悪の新年のスタートを迎えたからね。
そっから まぁ どうにかこうにか
騙し騙し1年は生きられた。
いあ 皆さんに生かしてもらったと言うべきだろう。
病気は一進一退を繰り返し
結局 今年も完治にこぎつけることはできなかった。
リハビリと称して始めた今のバイトも
今月30日で仕事納めとなる。
次 何をするかは何も決めていない。
とにかく 疲れだけが全てを支配し
くたびれたという感覚しか湧き上がっては来ない。
初日の出は どこかで1人で見たいと思う。
いい新年のスタートが切れるかは分からないが
誰一人いない場所で 初日の出を眺めたいのだ。
ただ その反面
もう無理して新年を迎えることもないだろう
という感情も沸き上がって来るのだ。
もう 十分生きただろう
これ以上生きて何になるというのだ。
私は疲れたのだ 何もかもに。
だから静かに眠りたい と切に願っている自分がいる。
やり残したこともないし
思い残すこともない。
陽だまりの中 揺り椅子にでも腰掛けて
静かに息を引き取れたら最高なんだけどな。
こんなことを軽々しく述べるのは
不謹慎だし 生を弄ぶなと指摘されるだろう。
分かりやすい例えもないが
生と死の価値観において
何が正しく 何が間違っているのかなど
簡単にどうと言えるものではない。
重度の病気に冒された人がいる。
その人はその病気で随分苦しんだ。
余命幾許もないと診断を受けた。
彼は もっと生きたいと涙を流した。
最後まで この病気と闘うと決意した。
重度の病気に冒された人がいる。
その人はその病気で随分苦しんだ。
余命幾許もないと診断を受けた。
彼はこの苦しみからやっと解放されるのだと涙した。
身辺の整理をし 親しき友人や家族に別れの挨拶をした。
前者は 死を受け入れずに生にしがみつく者。
後者は 死を受け入れ旅立とうと決意した者。
どちらが正しくて どちらが間違っていますか?
皆さんが同じ立場だったら どちらを選択しますか?
家族や友人にこんな方がいたら どう話しかけどう接しますか?
かくゆう自分もどういう選択をすればいいのか分からない。
ただ この苦しみ この受難をどう解釈し
どう受け入れ どう闘病生活していけばいいのか
未だに吹っ切れていない自分がいる。
ただ そこに存在し続けているだけで
物凄い苦痛が伴う。
周囲から見れば何もしていない
世の中に甘え 怠惰を貪り 生を冒涜する
ただの不埒な怠け者に過ぎない。
もうこの病気になって5年近くにもなる。
いつまで こんなところで立ち止まって
グダグダやっているんだと 自分に憤慨する毎日。
まともに働いて自立したい。
情熱を持って仕事や恋愛に打ち込みたい。
誠意を持って友人や家族を愛したい。
そんなことを心のどこかで思いつつも
実行できない自分をアホみたいに責め続ける。
まるで 世界一の大罪人のように。
やがて 疲れだけが全てを侵食し
空っぽになった自分だけに気づく。
結果 これ以上生きて
一体 何になるんだ?という疑問が生じ
その考えだけに 頭の全てを擡げる。
この症状が長い期間続くと
彼ら 鬱病患者はついに逃げ場を失い
自分で自分の命を容易に絶つ。
自分自身も例外ではなく
突発的にそのような感情に縛られることが多々あるので
そういう物を身辺に置かないようにはしている。
ロープや薬物、刃物。
高いところには極力登らない。
ホームでは一番前に立たない。
横断歩道でも前に立たない。
何かしら死を連想させるものは
極力避けるようにしている。
手元に拳銃でもあれば
口に銜え込むか こめかみに銃口を当てるか
容易に引き金を引くであろう自分がいるのだ。
死が崇高な物だとは思わないし
また 死ぬ死ぬ騒いで周囲の注意を引きたい訳でもない。
ただ この疲労感を拭い去る手段が
もうそれしかないのだと
信じ切っているだけなのだ。
そう 病んでいるのだ。
およそ 正常な思考回路ではない。
何でも病気のせいにして
責任転嫁するのは好ましくないが
疲れているのだ ただそれだけなのだ・・・。
某猪木氏の言葉が痛く耳に突き刺さるよね
こんなときは。
元気があれば 何でもできる
シンプルな言葉だけど 正しくその通りだと
私は思います。
こんな症状が続いているせいか
たまに mixiの足跡を覗くと
宗教やら アバターやら
そういった関係の人の足跡も多い。
でも ご心配はなく。
宗教にもアバターにも傾倒する気はありません。
そこに私の求めているものはありません。
MASTER OF LIFE
という言葉を皆さんご存知ですか?
誰が最初に言って 広まった言葉かは知りません。
直訳すれば 人生の達人。
単純に人生を謳歌し
楽しむ術を知っている人のことを指します。
私もマスターオブライフに随分憧れたことがあります。
ここ近年はこんな言葉すら忘れていましたが。
憧憬の念というんでしょうかね。
死を考える余り 忘れていた理想の自分を
最後に思い起こした といったところでしょうか。
人生はどんなものよりも楽しく
また この世界はどんなものよりも美しく
そこに生きる生命は どんなものにも変え難く素晴らしい
そんな境地のことなんだろうね
マスターオブライフとは。
その境地を得るには
困難な人生ありきなんだろうな。
生まれたての赤ん坊が
そんな境地に達することもなく
一瞬たりともそんな心境になりうるのは
天寿を全うした老人が臨終の際に見る夢ではなかろうかと
思ってしまう。
その感覚は一種の充足感であり
多幸感でもあるのではなかろうか。
臨終の際に見る夢ってのに
少し興味があるなぁ。
それには天寿を全うしないとだな。(笑
見苦しいのは承知の上だが
もうしばらく生きてみようと思う。
惨めでみすぼらしいし
見るに耐え難いと思われるのも また一興。
輝ける人生を 容易く手に入れられる程
人生甘くはない。
人生を楽しむ術を
手に入れるための旅路。
毎日が苦痛や苦難の連続で
人生を終えてしまうことがないように
どうにかこうにか やっていこう。
12月20日
ご無沙汰しております。
今年も残り僅かですね。
何度か日記を書こうかと思いましたが
何せ 如何せん ジメジメした日記しか書けそうもなく
また 支離滅裂な文章を展開するだけなので
筆休めとしてました。
まだ しぶとく生きております。
鬱は相変わらずで 11月末は特にしんどかった。
現在は通院もしていないし
薬も一切服用していません。
鬱病を抱えたまま
仕事をするということが
どれだけ しんどいことなのか
この身を持って痛感している次第であります。
分かりやすい例えがありませんけれど
39度くらいの高熱のまま 仕事に出て
毎日働くくらいの心労や負荷がかかるもんだと
ご想像下さい。
なので もう疲労困憊で
どうにもこうにもってとこです。
やはり そうなると
覚めることのない眠りは
安楽とも受け取れ
苦痛からの逸脱という理由で
去年と同じ自殺未遂をやらかしそうな風潮もあり
自分自身もそれを警戒し危惧しておりましたが
なんとかそれも今のところは
起こらずに済んでいます。
死んだほうが楽だ
と 例えることは良くあるし
冗談めいて それを言葉として発する人もいるでしょう。
ただ 実際にそれを行うにしても
死後のことは実際誰も分からない訳で
わざわざ 早急に死を選択せずとも
それは いずれやってくるんだ
と 自分に毎日言い聞かせています。
長生きしたいとも思わないし
生きる意志も気力も枯渇して皆無にせよ
生かされている現実を見つめなければいけない。
欲求なくば
人は生きた屍ですね。
それも今 身を持って痛感しています。
気持ちで押し切る
気合だ 根性だと
今まで色んなことを乗り切ってきたつもりです。
しかし 鬱病になると
その方法は一切効力を発揮しません。
病は気から。
全くその通りだと思います。
気持ちで押し切ろうとすればするほど
さらに ひどい鬱に転落する。
強い気持ちであろうとすればするほど
どんどん悪化していく。
自分の生来の気質や性格が
災いして ますます自分を追い込んで行く。
自己卑下 自己否定 自己排斥へと進んで行く。
世の中そのものが矛盾であることは分かっている。
だが 自分自身も矛盾そのものであると言える。
相反する2つのものが衝突し
葛藤という対消滅を起こす。
世の中が矛盾という淘汰の中で洗練され
より強い種が残るように
人間もまた葛藤により磨かれ成長を遂げる。
自分は正に今その渦中にあり
克服することがあれば
少しは成長を遂げることができるのではないか?
強引ではあるが そう自分に言い聞かせるしかない。
過去を振り返ってしまえば
この病気を発症してからというもの
もう5年近くにもなり 空白の時間だけが
過ぎ去って行ったのは事実であり
そこだけを取り上げ 結果だけを見てしまえば
何の成長も遂げていない。
生きることに何の興味も示さない人間が
無駄に時間を過ごし 無益な浪費を繰り返し
生き続けることを 気持ちよく思う人はいないだろう。
自分自身でもそう思っている。
生産性の欠片もないからね。(笑
つまらぬ思考を止めてしまいたい。
それが本音である。
まだまだ 光明の兆しは訪れないが
春の来ない冬はない。
いつか温かい気持ちに包まれる日も
また訪れるのではないか?
全くもって都合のいい楽観的価値観かも知れないが
これ以上 現状を嘆き憂いても 仕方なかろう。
惰性で転がり続ける人生も良かろう。
自分は現実という長い長い夢を見ているだけに過ぎないのだ。
いつか目覚めるときも来るだろう。
さて 予定通り
何が言いたいのか良くわからねー日記になった。(笑
延々とこんな文章になるだろうし
ここで打ち切って寝るとします。
もう目が覚めないといいんだけどなぁ。(鬱
人生旅日記