その5) 交通事故ファイル Vol.3



夜勤3連荘で一睡もしていなかった
あの日。

忘れもしない 2000年1月23日。


何を思ったか 俺はそのまま夜勤明けで スノーボードへ行った。

バイトと学校のスケジュールを照らし合わせた結果
その日しかいけないことが判明したからだ。



八王子から 最寄のゲレンデへいくことにして
ついでに弟も連れて 二人で行った。




行きは高速を使ったため 1時間半で ゲレンデについた。

そして ハーフパイプを 半日ほど 堪能し
帰ることとなった。


なぜなら その日は選挙があり
おかんに投票に行け行け言われていたからだ。



善良な一市民としては 行かないわけにはいかない!


その投票時刻は4時までだと おかんから言われていた。


当時 弟はまだ 自動車免許を持っておらず
行きも帰りも俺が運転することになった。





それはいいとして 当時の俺は
絶対に運転休憩を取らない男であった。

どんなに疲労してようと 眠かろうと
目的地についたら ゆっくり休む派であった。



しかし 後にそれが災いとなる。



そして 高速道路の際は
絶対 追い越し車線から 出ない男であった。

大抵 常時速度は160kmであった。

そして 前をチンタラ走る車があれば
その車が走行車線に移るまで
しつこく 付け回す。

明らかにスピード違反なため
通りがかりに パシャっと ファンのカメラに
3回程 撮られた経験があるが
いまだに通知は来ていないので
もう こないかと 思われる。





ただし 大型トラック(骨太トラック野郎)
煽られて 以来
追い越し車線と 走行車線を
区別して 利用するようになった。


そのときは 夜間で170kmで走行していたのだが
後ろにつけてくるトラックは ぴったりついてくる。

そして 常にハイビームな上に
ずっと 右ウィンカーつけっぱなし。





明らかに

俺はこの車線から
どかねぇぞ!!
てめぇ 早くどけ!!


と言う 合図であった。



俺の頭には ふと


かの トラック野郎の 流星号 が思い出され


もし 俺の車に無線がついていたなら

「こちら流星号!こちら流星号!」

という 無線が入ってきても おかしくはなかった・・。



そして このお方は


絶対 なりきり菅原文太に
違いない!!


と 思った。

隣にキンキンが乗っていたら 間違いなく
ご本人であったであろう。


しかし バックミラーは 眩しくて見れなかった。





そして この時
このまま このトラックの前を走り続けたら

俺は殺される・・

と 思い 免許を取って以来
初めて 走行車線に 退くこととなった。



それ以来 走行車線を
おとなしく使うことにしている。





しかし この時の俺はまだ
休むことに関しては考えもしない男であった。


そして 例のごとく俺は休憩を取らずに
突っ走った。

帰りは高速に乗る金はあったのだが
ケチって下道で自宅へ向かっていた。


そして 見慣れた道へ辿り着き
あと 40分ぐらいで 自宅かなって
とこまで きていた。










何もない 見通しのいい直線。
信号が赤で 一台 軽が停車しているのが見えた。
俺はブレーキを軽く踏んで減速していた。

















うぅあ、ぅあ、あぁぁあぁああ!!


弟の悲鳴で我に帰った。
そして










ドゴォオオオン!!


ん?



と 思ったときに 車体に衝撃が走り
前のめりになり シートベルトにロックがかかった。











前の車に衝突していた・・・(泣









俺は 慌ててブレーキをぶつかってから
カパカパと踏んだ・・・。



やっちまった・・・。


コンマ何秒か居眠りを ぶっこいてしまったらしい。






前の軽には 運転者である
おばさんと 子供が2名乗っていた。


道路わきの近くのスペースに軽く損傷した
2台の車は入った。

おばさんが 首を押さえて降りてくる。


信号待ちで停車している車に
居眠りでオカマ・・・。



逆切れのしようのない立場であり
急いで車を降り
おばさんと 子供にケガがないか確認。

幸い 救急車を呼ぶ必要はなかった。




そして 警察を呼んだ。

ついでに保険屋にも事故時刻を知らせるために電話。

あとは 弟に頼んでおかんに電話させた。



そんな時 おばさんが自分の車の
歪んだリヤゲートを
開けようとしていた。



あ、おばさん それやると・・

しかし もう時遅く






ハイ! 開きっぱなし・・・(泣


ちょっとぉ これ閉まらないじゃないのっ!!
おたく どうしてくれんのよっ!!





はい ぶつけた僕が全部いけないんです・・(号泣






5分も待つと パトカーがやってきて
事情聴取と現場検証が行われた。


その後 おばさんと俺で警察所へ行き
事故記録の調書を取られることとなった。

とにかく 混乱していて 何が起こったのか
分からなかったのが 俺の率直な感想だ。


車体の前方部分が逝ってしまった車で
弟と再び乗り込み 家を目指した。


帰りの車では お互い会話もなく
俺は慢心しきった その自分の運転度合いに
自分で愛想をつかしていた。


とにかく 軽い事故で済んでよかった・・。
誰の命も失うことなく済んだので
それを思えば安い授業料であった。



この後 おやじとおかんに頭を下げ
重い足取りで 選挙へ投票しにいった。

誰に投票したか 覚えていないが
市民の義務は果たしたつもりだ・・。









この後 修理費25万を稼いで返済した。




これを稼ぎ出すのに
例の血便 (死にそうになった瞬間 Part8)を出すこととなる。


以後 俺は自分を戒め
必ず休憩をとるように心がけ
無茶な運転は控えている。




華を咲かそう